かわさき市民オンブズマン会報 第40号 z
2004年4月3日掲載

メイン画面に戻る または 図書室に戻る *

***もくじ***

● 主張:眠れる監査委員(清水芳治)
● 十字路
  • サイエンス・シティー川崎 シンポジュウムを傍聴して(佐々木玲吉)
  • わくわくプラザの問題性について(望月文雄)
  • イラクは是戦場 或戦前派の一言(黒岩公平)
  • 毎日新聞にみる言論の自殺 また戦前の愚を繰り返すのか(清水芳治)

● KTCクレーンはやはり開店休業状態だった(渡辺登代美)
● 編集後記(清水)   
● 会計報告

主張 眠れる監査委員 (清水芳治)

 

 われわれかわさき市民オンブズマンは平成15年4月度の政務調査費に関して監査請求

をした(本誌参照)。

 この4月は月半ばの13日に全国一斉に地方選挙が行われたのであり、議員の皆さんは

選挙活動に集中し、当然半月は政務調査費を支出するような活動は不可能である。した

がって、政務調査費の消化も月並みに比して2 分の1になるのが当然であろうと推測し

ながら政務調査費の情報公開請求をしたところ、何と大方の議員(政党)は、月並みの

支出をしていることが判明した。



 われわれの頭では理解できない事態なので監査委員の厳正な調査に基づく判断を求め

たのは当然である。

 ただ、この監査請求に弱点があったことは、認めざるを得ない。即ち、条例により政

務調査費に関してはその支出につき、領収書などの証拠書類は市議会各会派の出納責任

者がいわば私的に管理し、公文書にならないため、監査請求者が書類に基づいた具体的

事実を指摘し得ないのである。わが監査委員は鋭くこの欠点を指摘し、あっさりと却下

した。

 そこで考えて頂きたい。

 私たちは条例により公文書しか見ることはできない。しかし、調査権限を持つ監査委

員は、やろうと思えば各会派に立ち入って出納簿を閲覧できるはずである。そこで監査

請求は、監査委員はこれまでお気づきにならなかったのでしょうけれども、ことは税金

の使われ方に関する市民の疑念である、是非とも会派が5 年間は保管する義務の課せら

れた出納簿を精査し、市民の疑念を晴らして欲しいと願い出たのだ。

 監査請求の文言が不十分であった場合、監査をせねばならぬか否かについての最高裁

の判例を持ち出す必要はなくて、要は監査委員に非違を正すためにやる気概があるか否

かの問題なのだ。

 あの三田工業汚職事件に関わる原状回復監査請求でも同じことであった。

 「東京高等裁判所の確定判決に従って川崎市が代金額を支払わない限り大師河原の土

地が三田工業の所有名義下にある状態は継続し、このことは三田工業の違法行為を川崎

市が放置しているとの道義的批判に通ずる。また、近い将来この土地が第三者に転売さ

れるような事態になれば、『所有及び正義の実現』が困難になることも懸念される」

(かわさき市民オンブズマン2002年度活動報告資料集61ページ参照)と付言しながら、

監査請求を棄却した。

 今、大師河原の土地は、懸念されたように抵当権が実行され、競売されようとしてい

る。監査請求に基づき是正勧告をしなかった監査委員の怠慢と指弾されて当然であろう。

 議員から選出される監査委員は措くとしても、職業としての監査委員は早くまどろみ

から覚めて、与えられた任務を厳正に履行しなければならない。  



 


目次へ
十字路



★ サイエンス・シティ川崎シンポジウムを傍聴して(佐々木玲吉)



 前号で望月さんが、いみじくも「このプロジェクトで臨海部を含めた川崎市の活性化

が図れるとは考えられない。」と喝破された「サイエンス・シティ川崎」について、ど

ういうものなのか、或いはシンポジウムはどうであったか等、時々問い合わせがありま

すので、1月22日、産業振興会館で開かれたシンポジウムの概要を述べてみたいと思い

ます。不肖私も学位を取得されている大学や実業界の諸先生方の生の話が聞けるとあっ

て事前に申し込み、オブザーバーとして参加しました。



 主催、共催が川崎市と川崎市産業振興財団であり、最初の挨拶が川崎市長であるとこ

ろから、このプロジェクトに対する川崎市の力の入れようは徒事ではないと感じ取れま

す。

 市長の挨拶のあと東京農工大学教授・工学博士・古川勇二氏による基調講演がありま

した。2 時間にわたるものですが概略つぎのようなものです。「重厚長大の産業は終了

した。これからは高度情報化社会、知的水準の高いイノベーションによる、高付加価値

の製品で国際競争力をつける事である。国もインフォーメーション(情報)、バイオテ

クノロジー(生命科学)、ナノテクノロジー(材料工学)、エンバイロメント(環境)

に力を入れており、平成13年より5年間で24兆円の予算を組み支援体制を整えている。

この線に沿ってイノベーションをやっていきましょう。そうすれば国家資金も獲得でき

る。川崎にはもともと物作りの伝統がある。」と。



 そのあと実際に起業し企業化した例として、ファブソリューション梶AJFE都市開発

梶A樺キ津製作所、3社の報告を受けました。

 1.ファブソリューション梶@もともとNEC社内組織の一つであったものが2002年2月

  に国の資金援助のもと分離独立。工学博士・辻出徹氏以下11名、LSI生産管理をビジ

  ネスとし溝の口に会社を構えた。

 2.JFE都市開発梶@製鉄業生き残り策で、日本鋼管と川崎製鉄が合併したJFEホール

  ディングスの下、5社に分割されたものの一つ。研究所長の藤森孝氏はニューキャッ

  スル大学で都市計画コースを終了。

 3.樺キ津製作所 カメラ金型の設計、製造を業とし、川崎工場90名、新潟工場20名、

  そして中国の深?にも工場を設立する。社長の牧野俊清氏は東京工業大学理工学研究

  科修士課程終了。

そして「産学連携について」は慶應義塾常任理事・吉田和夫氏が、「企業を起こすには」

と題して税理士で経営コンサルタントの山田長満氏が話をされました。

 以上が概要ですが、総合的に考えればサイエンス・シティ川崎はアメリカのシリコン・

バレーを模しているものであり、出よ川崎より「ノーベル賞クラスの研究者」或いは

現代の発明王エジソン」というところなのでしょう。しかしこれは一部のエリート技術

者集団と言っても過言ではないと思います。

 ところで、今わが国では大企業でリストラ人員整理の嵐が吹き荒れております。工場

は中国その他海外に移って行くものはあとを断ちません。そのような時に川崎市は人口

は増加しているものの、経済の低迷は続き、市民の所得水準は低下してきています。

 市発行、工業統計情報、平成14年11号の一部を掲載致します。



 このような時「サイエンス・シティ川崎」は起死回生のバッター足り得るでしょうか。

ここで想い出されるのは「キャンパス都市川崎」構想です。有名大学教授、地元大企業

の代表等30名程参加させ川崎の未来を考えてもらったものですが、結局はマイコンシテ

ィの失敗、KCT、FAZの破綻、そしてついには助役の汚職で幕を閉じた事実です。

 今国家予算24兆円と言う膨大な資金が準備されているようですが(勿論川崎のみに投

入されるものではないでしょうが)再びかつてのような汚職の発生、或いは税金の無駄

遣いにならないか危惧するものです。



   *******************************





★ わくわくプラザの問題性について:2004年3月16日(望月文雄)





 2001年10月川崎市7区で区毎に1校のモデルケースとして発足した「わくわくプラザ」

は、要員の教育と指導性という質の問題、参加児童の不特定性、小学校の設備開放の遅

れ、学童保育(留守家庭児童事業)問題等を未解決の儘に、2003年4月1日から、川崎市

の全小学校を対象に開始されました。



 そのような経過の中で2003年11月11日東大島小学校「わくわくプラザ」で、二階の窓

から参加児童が墜落し、頭蓋骨陥没という重大事故(突き落とされたという目撃証言も

ある)が発生しました。この事故の事業責任者である市長も、当該「わくわくプラザ」

運営管理受託の社会福祉法人青丘社理事長も公式な謝罪を表明していません。私は「わ

くわくプラザ」事業の発足に関しての経緯を独自で調査しました。未熟な記述ですが、

手短に述べてみます。



 1992年12月22日に議決された「川崎市基本構想」を具体化した「川崎市新時代2010プ

ラン」では明確な姿が出ていないようです。1997 年4月に区毎にモデルケースとして発

足したASCL(After School Children Land)という事業が川崎市の公文書に初登

場するのは、1998年(平成10年)12月に発行された「かわさき子ども総合プラン」101ペ

ージで、「こども文化センターの充実方法は、ASCLという形では充実しきれない」

「こども文化センターにASCL事業が必要か」という否定的な意見として記述された

部分です。この意見は「モデルケース」が開始された後、約半年後に発行された「かわ

さき子ども総合プラン」資料編に記載されています。このような意見がどのように斟酌

されたのか不明ですが、川崎市は 1999年4月、市内59館のこども文化センターにAS

CL事業を実施しました。そこでの、事故等の資料の有無は未確認です。



 「わくわくプラザ」のモデルケースが開始されたのは、その2年後に当たります。その

間に当局側は「(仮称)川崎市青少年プランの策定にあたって」(意見具申書)を1999年

(平成11年)11月に「川崎市青少年問題協議会・会長高橋清」が川崎市長・高橋清に提

出しました。この具申書で「わくわくプラザ」という表現は未使用ですが、「小学校施

設を活用しての児童の遊びを中心とした事業の推進」という項目が設定されています。

 また、青少年施策の課題という項目のなかの小項目で「児童の遊び場の拡充」を提起

し、本文で「前述の『市民シンポジューム』では、『小学校施設を、放課後や長期休暇

中も子どもの遊び場として開放して欲しい』という声がありました。」と、事業促進を

図る記述をしてあります。



 この意見具申書では「かわさき子ども総合プラン」資料に記載してある「学童保育への

7項目」の意見に関しては、対応策を何ら記述せず、「ASCL(アスクル)のような性

格をもった利用の拡大を、地域の諸団体との連携のもとに実施する等の改革も考慮され

ます」(37ページ)と記述しています。こういう前提を踏まえて、原「わくわくプラザ」

構想とも言うべき前述の「小学校施設を活用しての児童の遊びを中心とした事業の促進」

を提案しています。

「わくわくプラザ」事業のモデルケースが実施されると行政は、所轄のこども文化セン

ターに「青少年施策の推進計画」という行革(リストラ)を通達しました。

 この要員計画の最大の問題点は「わくわくプラザ」で働く要員の質(レベル)低下が

判然としているにもかかわらず、対応策が提示されていないことにあります。学童保育

では児童20名に指導員1名という条件で指導員も有資格者であることが義務付けられてい

ますが、「わくわくプラザ」の要員である「パートナー・チーフサポーター・サポータ

ー」には資格条件が付されていません。



 その上、彼らは1週4日勤務という条件でスケジュールによって配置され、前任者との

引き継ぎは無考慮、さらに社会保険加入が一切認められないようなひどい雇用条件です。

このような劣悪な労働条件で、質的に高度な指導が、あるいは、保育が可能でしょうか。

「わくわくプラザ」事業を実施するに当たって、当局が議会の承認を得る方法がすこぶ

る安易な方法でした。

 2002年(平成14年)第4回議会に「議案120号・川崎市こども文化センター条例の一

部を改正する条例の設定について」を提出しました。議会開催3日前の市民委員会で他の

議案とともに提出し、議案説明を形に即して行い、「わくわくプラザ」という文言が現

れるのは本会議12月4日渡辺あつ子議員の「来年度予定されているわくわくプラザ事業に

ついては・・・大きな期待をしています」という発言です。この発言を受けて、大木市

民局長は「わくわくプラザの地域による運営につきましては、現段階では委託に伴うさ

まざまな条件整備が必要でございますので、将来的な課題とさせていただきたいと存じ

ます」と低姿勢を見せていますが、3月後には2つの委託策を市民局の一存で決定して

います。しかも、議決4日前にもう一度、市民委員会に諮りましたが、質疑応答には「わ

くわくプラザ」という発言はありません。



 受託法人は両方とも市民局の所轄・委託実績をもつ法人で、癒着が指摘されうる法人

です。「かわさき市民活動センター」と改名した「川崎ボランティアセンター」は教育

事業を行った実績は無く、川崎市の出資法人で、市民局が所轄しています。市民局の意

向には絶対、反対出来ない団体で、役職者の大半は市職員が名前を連ねていました。社

会福祉法人青丘社と川崎市の癒着は1986年、川崎市教育委員会が「在日外国人教育基本

方針―主として在日韓国・朝鮮人教育―」を制定する前からの交渉団体で、それらの経

緯から「ふれあい館」の運営管理委託がなされ、理事長が初代「外国人市民代表者会議

委員」に事前決定されていたという経緯を持っている、法人です。



 この2つの法人に「わくわくプラザ」の問題性の指摘・改善能力が存在するのでしょう

か。2003年11月11日東大島小学校わくわくプラザでの事故対応の状況は、この文頭に書

きました。「わくわくプラザ」事業計画当初から指摘されている、問題点に何ら対応せ

ず、無視して発足させた「わくわくプラザ」の事故報告すら、隠蔽工作が図られている

のです。この事業の最大の欠点は児童の特性を考慮に入れていない「大人の発想」で机

上プランが強行されたことでしょう。児童は集団生活を力関係で認識し、その過程で、

人格が陶冶されて行くという基本を、「わくわくプラザ」事業は、基本に置いているの

かという疑問が大きく存在しています。

 私が集計した「事故報告リストの分析」を資料として添付します。当局の事故報告と

対比してみてください。   以上



     ******************************





★ イラクは是戦場  或戦前派の一言    (黒岩公平)





 護衛艦「むらさめ」は2月16日、市民のイラク派兵反対の声の渦巻きの中、横須賀基

地を出航し、陸自支援の装備その他の物資を積込む大型輸送艦「おおすみ」の待つ室蘭

に向かった。2月20 日頃クエートに向かうという。3月には陸自の本隊もイラクの地に

展開を完了する。かくて、自衛隊の陸海空の三軍はそれぞれの任務を帯びてイラク地域

に腰を据えることとなる。敗戦によって生まれ変わった日本の憲法の下、戦争に耐える

重武装の部隊が初めて戦闘地域に派遣されたのである。

 小泉首相は戦争に行くのではない、イラクの人道支援のため国際協力の一環として、

自衛隊でなければできないから自衛隊を派遣するのだと言うが、市民はこれを憲法違反

を避けるためのマヤカシと思う。アメリカは自衛隊の貢献度よりも、アジヤの大国日本

が武装した自衛隊をイラクの地に派遣したことだけで、アメリカの正義が認知されたと

歓迎している。われわれ市民もアメリカのための派兵と認識している。



 私はこの5月90歳になる。31歳の時、中国河北省の石家荘近くの駐屯地で、昭和天皇

のラジオ放送で敗戦を知った。大陸の空はどこまでも青く太陽は白日の如く輝いて暑く

そして長い一日であった。当時私たち日本軍の当面の敵は蒋介石の国民党軍ではなく、

毛沢東の八路軍でした。この八路軍は神出鬼没、自分たちの支配地域、日本軍の支配地

域の区別なく小部隊に分かれて自由に行動し、日本軍を攻撃して日本の守備隊を苦しめ

た。なぜ八路軍は日本軍の支配地域を自由に行動できたのだろうか。それは都市部は別

として、農村地帯の農民は、強大な東洋(トンヤン)鬼(クイ)子(ズ)日本軍と戦っている

八路軍を信頼し心を寄せていたからである。謂わば八路軍は人民の海の中にいるような

ものであった。だから日本軍の掃討作戦を巧みに避け、時には、勝てると思えば日本軍

の数倍の兵を集め、日本軍の進路を予想してその部落を遠くから包囲し、ジリジリと包

囲の網を絞り、頃合い良しと見るや一斉に攻撃を仕掛ける、私の所属する守備隊もこの

八路軍の作戦にマンマとひっかかり、算を乱して敗走し、翌日中隊を挙げて討伐隊を編

成し、死体収容と八路軍討伐に出動した。広々とした農地には戦友の死体が横たわり、

部落には急造の戦勝祝賀会の舞台が日本軍を嘲笑するかの如く残されているだけで人っ

子一人いなかった。これは日本軍の情報を農民が口から口へ伝えていたからである。



 私はこの八路軍との経験から、イラクの治安状況は、米英の占領を快く思わぬイラク

人民がいる限り好転しないと思う。占領軍の抵抗勢力、武装集団もなくならないであろ

う。そのためアメリカ軍は毎日のようにイラク各地で襲われ死者を出している。ヘリコ

プター・アパッチが撃墜され、米軍兵士の幕舎に迫撃砲が打ち込まれたりしている。ア

メリカ軍の度重なる掃討作戦にも拘わらず武装集団が殲滅されたとも武器が押収された

という報道も聞かれない。イラク占領軍と戦う武装集団は八路軍と同じようにイラク人

民の海の中にいるのだろうか。かれらがゲリラ戦を展開している限り、イラク全土は戦

場であって、

安全な場所はない。いつ、どこで、どんな武器で攻撃してくるか分からない敵ほど不気

味な存在はない。見えない敵ほど精神の緊張を高めるものである。

 日本政府が比較的治安良好の地として選んだ「サマワ」はたまたま武装集団が攻撃し

なかっただけの話である。絶対安全とは言えない。自衛隊員はいつ来るか、いつ来るか

とこの見えない敵と常に戦っているのである。この緊張、この苦痛、小泉首相には分か

るまい。2月12日、遂にサマワの中心街に迫撃砲弾が飛んできた。17日は爆発事件が2件

も起きた。

 政府は自衛隊の活動に支障なしと火消しに躍起になっているが、サマワの正確な情報

は不明である。私はサマワは決して安全地帯ではないとの武装集団の警告ではないかと

疑うものである。

 私には平成16年と昭和16年が重なる。昭和16年は東条首相が米英に宣戦した。平成16

年は小泉首相が、日本国憲法の禁を破って、重武装の自衛隊を戦闘地域のイラクに派遣

した。歴史は繰り返すのだろうか。平成16年は昭和16年と同じ戦争への道を歩んでいる

のだ。だが、イラク派兵を決して憲法改正のターニングポイントにしてはならない。

 イラク派兵反対!今こそ行動を!自衛隊員をイラクで殺すな。自衛隊員を小泉首相か

ら守れ。戦争はゴメンです。



    ******************************





★ 毎日新聞にみる言論の自殺 ・・また戦前の愚を繰り返すのか・・



                             川崎市 清水芳治



 3月11日の毎日新聞を見て驚いた。イラク戦争報道で毎日新聞は「現実とともに考え悩

み」「責任ある選択」を示したそうである。

 論説委員長の署名記事であるから毎日新聞社の方針と考えてよいであろう。

 イラク侵略が現実であれば、侵略戦争反対もまた現実である。毎日新聞は「ジャーナリ

ズムとしては戦争に賛成することはできない」ので「イラク戦争では、最後までとにかく

国連の支持を取り付ける外交努力が必要だと主張した」。後段はさておき、読者としては

この「としては」が何を意味するかさっぱり分からない。

 国連はイラクが差し迫った危険だとは認めていなかった。そうした状況で「とにかく」

努力せよと主張することが果たして現実的なのだろうか。

 国連はアメリカのイラク侵略方針を支持しなかった。そこでやむを得ず、アメリカに倣

って、サダム・フセインは国外退去せよと社説で説いた。これまたサダムの現実を踏まえ

た主張なのだろうか。

 「空爆開始はそれ以前に世界が見守る中で行われた大量の米軍の配置を目の当たりにし

て避けられないとの認識」を持ったが(!)「爆撃開始そのものには、国連排除であり支

持できないとした」という。

 だが、サダム・フセインはお説に従って国外退去はしなかった。だとすれば、アメリカ

の空爆は止むを得ない、ということに何故ならないのだろうか。空爆支持とはあまりにも

恥ずかしくて言えないから、悩んだとでも言いたいのか。ジャーナリズムとして何よりも

大切な戦争反対の強固な論理を築き上げることが出来なかったことの表白ではなかろうか。

 そうであればこそ、「人道支援」などといういかがわしい言葉をジャーナリズムとして

吟味することなく、自衛隊派遣に自衛隊がイラクにあって米英占領軍と如何なる関係にあ

るのか、占領軍の補完部隊ではないかなどの疑念を検討することもなく、賛成することが

出来たのではなかろうか。

 その点では、小泉内閣の方がアメリカの侵略戦争支持、占領政策補完のための自衛隊派

兵と首尾一貫している。

しかもいうにこと欠いて、国会の多数派が議決すれば、憲法違反も憲法違反にならないと

いわんばかり。憲法のどこをみれば、国外へ軍隊を派遣することが合憲だと書いてあるの

か。況してや、「どういう状況で自衛隊の派遣を終わらせるかをはっきりさせることが、

極めて重要だと今、主張している」と聞くに至っては、おいおいしっかりしてくれよ、こ

ういう状況が出来したら撤兵せよと、主張するのがマスコミの任務ではないのかといいた

くもなる。

 全くもって、しどろもどろで、隠れ戦争支持、あからさまな自衛隊派遣支持を展開され

たのでは、読者はたまらない。戦前、マスコミが戦争支持にのめりこんだことの反省が、

戦後のマスコミの出発点だったはずである。だが、今また支配的な「現実ととも」歩み、

現実に追随する姿勢を「考え悩み」ながら選択し、日本国民を武器をとって殺し殺される

国にミスリードする道を再び歩み始めた大マスコミに猛省を促したい。

 表題には自殺と書いた。しかし、新聞労連に委員長を送り出している毎日新聞である。

自殺未遂であることを願い、再起する力に期待する。

 




目次へ :
     
KCTのクレーンは、やはり開店休業状態だった (渡辺登代美)



KCTのクレーンは、やはり開店休業状態だった

                              



 司法試験に合格すると、1年半の司法修習がある。それが終わって終了試験に合格して

から、弁護士・裁判官・検察官のいずれかになる。去年の11月に司法試験に合格した人

たちの修習は、4月から始まる。したがって、司法修習生という身分を得られるのは4月

からなのだが、弁護士を志す人たちは、年明けくらいからいろいろな事務所を訪問した

り、さまざまな事件を見学したりし始める。

前置きの説明が長くなった。3月19日(金)に、この司法修習前の若人たち20名弱を招き、

かわさき市民オンブズマンの活動の一端を紹介した。主催は川崎合同法律事務所。協力

は、川崎公害根絶市民連絡会とかわさき市民オンブズマン。

朝9時30分にJR川崎駅集合。そこからマイクロバスで港へ。川崎公害裁判の支援者であ

り、オンブズマンの会員でもある鈴木久夫氏の案内・説明で、船に乗ってコンビナート

群を見学。他に、清水芳治事務局長、望月文雄氏、そして私渡辺が参加。扇島から東扇

島へ回り、KCTとFAZを海上から眺めた。相変わらず船も来ていないし、ガントリ

ークレーン、門型クレーンのいずれも動いていなかった。これは決して破産手続きをし

ているためではない。破産手続き中であっても、営業活動は行えるのだ。船上や移動の

マイクロバスの中で、KCTやFAZについて説明した。波はさほど高くなかったけれ

ど、曇天で非常に寒かった。

縦貫道汚職事件で違法に三田工業に払い下げられた大師河原の土地も見た。三田工業の

経営不振によって競売手続が進んでいるという。

昼食後、川崎公害裁判についての説明や、患者さんの話を聞き、続いてオンブズマン活

動の紹介。篠原義仁代表幹事の全体的な説明に続き、江口武正代表幹事、清水事務局長、

望月幹事という豪華メンバーをそろえた。

これから弁護士になろうという若い人たちに、弁護士は法廷に行くばかりではなく、オ

ンブズマン活動のような楽しい活動もできるのだ、ということがわかってもらえたと思

う。






目次へ :
     
編集後記
                                



編集後記

○市民オンブズマンが住民訴訟で会社整理を申し立てていたKCTの破産が横浜地裁川崎支

 部で2月12日に決定した。われわれが破産を申し立てたのは、川崎市が市民の金をKCT

 に垂れ流すのは公益に添わないからである。ところが、市は今後もKCTに税金を投入す

 る方針であると聞く。早く市の計画の詳細を知りたい。

○一般市民が偽名の領収書を役所に提出して公金を受け取れば公金詐取になる。警察官が

 インチキ領収書で国費を頂戴するとどうなるか。日々の新聞報道が待ち遠しい。

○『やさしい日本経済の話』を読んでいて思わず苦笑した。少し長いが、「世界のワイン

 業者の団体にとって最も魅力のある市場の日本で、赤ワインが売れないのが悩みであっ

 た。そこで全世界のソムリエのコンテストを日本で開き、日本人を優勝させた。彼の赤

 ワインについてのおしゃべりと、体にいいとの誰かの御託宣で日本の赤ワイン消費量は

 爆発的に上昇した」のだそうである。戦後、推理小説家としても著名な慶応の教授が日

 本人は米ばかり食っているから駄目なんだ、これからはパン食だとのたもうて、アメリ

 カの占領政策に協力した話を思い起こした。自慢にもならないが、日本人らしさなんで

 しょうね。

○農学者と話す機会があった。米の話になった。ひとりの学者は、アフリカなどの食糧問

 題を解決する鍵は米にあると主張した。近頃騒がれないが、アメリカ農業などで指摘さ

 れる表土流失を避けるには「水田耕作」が有効だと思う。

○アメリカのイラク侵攻は昨年3月20日に始まった。1年たった3月20日全国各地で、そし

 て引き続いて全世界の各地で反戦集会があった。後に何かいいこともあるかも知れない

 が、現在までは侵攻は悲惨とテロをイラクに呼び込んだだけのようにみえる。関連して

 佐々木幹事の手配で会員の黒岩さんに反戦の気持ちを寄稿して頂いた。黒岩さんのご健

 勝を念じてお礼の言葉に代えたい。

○4月から新しい会計年度、5月15日は第8回定例総会です。会費の納入と総会へのご参加

 をお願いします。(清水)